感謝が足りない自分☆恩師松濤誠達先生の葬儀で☆死に至ること

ཨོཾ་ཨ་མི་དྷེ་ཝ་ཨ་ཡུ་སིདྡྷི་ཧཱུྃ་ཧྲཱིཿ
私にとって最初のチベット語の先生。
使用されていたテキストは、当時、チベット語のみの学習向けではなく、サンスクリット語既習者向けでした。が、並行学習の私でも松濤先生の授業はとてもいい、分かり易いものでした。サンスクリット語を教えて下さった石上善応先生のご授業も分かり易いものでした。ですが、紐付けとして松濤先生のサンスクリット語も講義であったならば、1時間かけて翻訳していた文書が45分くらいで終わるように感じていました。お二人の授業両方を取れば、先人の努力を自分にもっと使えるものになっていたと。
松濤先生の研究意欲は強く影響を受けました。さらに教師として、分け与えて下さったものがたくさんあります。
また、いただいた資料でコピーでなく現物が数多くあります。
仏教を専門にするのではない私に、文化大革命中のチベット語訳の貴重な共産主義プロパガンダ書籍(毛沢東選集のチベット語訳) 、こっそり録音した西藏中央広播のカセットテープ。惜しげもなく全部私に賜わりました。
また、実は、チベット語の発音がいいのです。論文では、発音がいいなんてわからないと思いますが、直接指導の先生や勉強会指導の先生より、現地発音に近いのです。ケツン・サンポ先生の発音そのもので、私自身もチベットでは、ラサ在住シガツェの人達のほとんどが「あなたのチベット語は私達の言葉そのもの」とおっしゃっていただきました。


葬儀が終わって、都立中央図書館に行きました。
ここのところ、私は…感謝が足りない。ご指導して下さった方々、応援して下さった方々、期待して下さった方々。
ところで、葬儀 告別シーンでふと思ったことがあります。
松濤先生は老衰という最も良い現世の旅立ちをされました。
昨年参列した葬儀では、長年闘病で頑張って生きていらしたけれど病魔に連れて行かれた方、登山中に体調変化でドクターヘリで運ばれ命はすでに彼岸に向かうことになった方。
老衰って極楽往生そのもの。最期のお姿を見て、悲しいというより、寿命全うってこういうお姿なんだと感じました。
ブータン人のお坊さんの友達がネットで言いました。彼の大親友の転生ラマが若くして亡くなった時のことです。
「釈尊は『生老病死』の4つの門を唯一解決出来なかった門がある」
最後のその門は、唯一の真理。命あるものは死を迎える。



坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

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