勉強が苦手な高校生…原因をめぐってみました

どこかの学年で落ちこぼされて…そう自分が落ちこぼれたのではなく、落ちこぼされた子たち。私の子ども時代、ほぼ45年-50年前と比較

◆小学校・学級掲示物は友達を手本にできる貴重な仕事[今も昔も]
大抵小学校低学年までは公立の場合は児童に大きな差がみられない…という風に実感しています。なぜかというと低学年の学級担任は、絵も作文もせいかつ科も…その他、学級掲示をほぼ全員友達の様子がわかります。ですから、なにかが苦手な子も、友達の作品で学びとることが可能です。学年が上がると、授業時数も増えますし、指導内容も濃くなっていきます。学級掲示も作品掲示スペースが足りなくなります。授業内容の掲示物も増えますから。
書写なんか…背が低い私からみて「すっごいなぁ…学級担任って」と。尊敬していました。
音楽専科か日本語指導でなければ、私は小学校の丁寧な仕事はできないなぁと。

蛇足ですが、いまどきの小学校は高学年が荒れていて、とても大変そうです。この時期の根っこで、中高まで引きずって事件があったりするのではないかと。多くの中高は荒れが収まっているのですが、単に低年齢にシフトしているのだと考えています。
(ときどき自分の生徒指導で荒れが収まったと勘違いしているかたがいらっしゃるのですが)

◆大学で無駄なプリントを作っていました。[自分のこと]
…で大学で非常勤講師をしていたころ、無駄な努力ではありましたが、学生が書いた感想・楽曲に関する調査・ライブのお知らせ・料理レシピほぼ全部掲載しました。私が教えるのではなく、友達からコツを盗んでほしいという思いからでした。もちろん理想は小学校低~中学年の学級掲示物。年々パワーが落ちてシンプルになっていきましたが。

◆リコーダーが原因?? 掛け算・割り算が原因?? 急に増えた漢字が原因??[今も昔も]
小学校中学年で、少しずつ差が出てきます。理由は学習内容が濃くなってきたからだとも、言われます。音楽・算数・国語。
逆に原因といわれないのが書写・図工・体育・家庭。
ですが、私自身はこれらが苦手でした。ですが、他の教科ができたので、苦手でもスルーされてきました。

◆出席番号[今]
いつからだったのか…私が教師になってから、すでに変わっていたのですが、私の子ども時代は、生まれた日にち順・男女別でした。これってある意味良かったと思います。やはり、4月生まれと3月生まれ…成長に差がありますから。もちろん、エクセルでソートして自分用の名簿を作ってしまえばいいのですが。

◆学習雑誌が消えてしまっている[今]
小学館の学習雑誌。漫画や付録だけでなく、全国テストもあって、自分の全国順位がわかりました。上位だとボールペンとかなにか記念品を貰えました。嬉しくて応募していました。
こんな雑誌がなくなって、「小学生新聞」にとってかわりました。私自身も毎日小学生新聞を読んでいました。でも、こういうのどこの家庭でも買える時代ではなく、経済格差を感じるのですが、各小学校の図書室で購入してもらえるのかどうか知りたいところです。

◆学校より家庭の経済の問題??[今]
塾に行けるか行けないか?? いや、私、小学生の頃、塾に行っていなかったけれど、開成に入った子より勉強できたもん!! というか塾のかわりにピアノと日本舞踊を習っていましたかから。そういえば、当時、塾には行っていなかったけれど、書道・そろばん・水泳・バレエ・体操など…なにかしら習い事をしていた子はそれなりの人数いました。地域によってはそういう先生がいなかったとかもありましたが。

◆家庭の親の愛情の問題??[今]
上記のような習い事、あるは家庭の仕事を手伝わせるといった親が子どもになにか身につけさせたいという意識がどうなのかな??と。つまり、忙しすぎて子どもには成績が上がりそうなことをやらせておけば…という意識でダンスクラス、塾に行かせていて、まるで学童保育になっている??あるいは保護者のおしゃべりの場で送り迎えをしている?? 

◆保護者の学力の問題??[今とかつての自分の子育て]
ご本人たちが勉強が苦手だったので、家庭学習しない子どもをみてなんとも思わないとか??
子どもの学習内についての会話がないのではないかと…もしかして??
私は一度も親から「勉強しなさい」と言われたことはありませんが。だって自分でやっていましたからね。私の息子もそうでした。勉強しなさいというのではなく、学習内容を話題に家庭コミュニケーションを取っていました。「今、学校でこういう勉強をしている」「先生は授業でこう言ったけれどどう思う」と。ただ、効き目ありすぎで、高3のとき「大学で模擬授業受けてきたけど、大学の先生より親との会話のほうが面白かった…あ…おかん大学の先生だったな…もしかして、大学で授業受けるよりおかんと話ししたほうが勉強になるかも」…ヤバイ…その時期には、あの「白熱教室」並みの家庭会話になってしまっていましたから。

◆学校の担任・教科担任の態度の問題??[今]
日本って落第も飛び級もありません。落ちこぼしてしまっても、その子が楽しく学校に来ていればいい…。できる子であっても、集団と同じようにさせておけばいい。平等なようで不公平な制度から生まれた「ところてん」また、何かができなくっても、できる子にやらせておけばそれでいい。児童・生徒が自分で掃除をするということで最近海外でも話題のニッポン。ところが、できない・やらない子は放置されてやれる子にやらせてしまう先生もいらっしゃるようです。また小学校高学年で中学受験の内申もあったりとお忙しい先生の視界から消えてしまっているような子も存在するのではないかと思います。

◆算数…水道方式[今も昔も]
「1つの型のものを習得すれば同じ型のものも容易にできるようになる」(wiki)
その通りなのですが、テストで×がつくのも、このせいだったりします。私は算数・数学は苦手なほうではなかったのですが、習った方式でない計算方法を書くと×でしたし、式をたてるのを頭の中で行ったけれど、どう書いていいのかわからなかったので点数は良くなかったです。大学入試が「共通一次」になって答えをマークすればよくなったので、平常の成績よりも良い点数が取れました。

とりあえず小学校はここまで

坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

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