Beyond 歲月無聲 & 和仁廉夫氏
今日、「オルタの会」で「歲月無聲~知られざる香港・澳門・廣東の戦争の記憶~」というお話を聴きました。
和仁さんは「歲月無聲」というタイトルで本を出していらっしゃるとのことでした。
このタイトルを見聞した途端、大好きなBeyondの楽曲がしばらく流れて止まらなくて、お話しに集中できなかったので、ipadを持って一旦、会場の外に出て廊下でコマさまの声を聴いて戻りました。音楽家っていうのは、いかんです。こういうとき。頭の中がipodみたいなものですから、曲がループして止まりません。音楽学者もある意味、音楽家です。音を文章で表現するものですからね。
「三年零八個月」…まだまだ記憶している人がいらっしゃるのは歴史をフィールドワークしていく上で重要だろうと思います。
「今日西蔵明日香港」という若者の危惧とは別に、過去の記憶に占領された記憶を持つ人々の実感ですから。もしかすると、カナダやオーストラリアに居場所を移した人々の中にも、この時期を経験していたかもしれません。
また「難民」と表現された「中国人」…。英国統治なので、当時の「インド人」(現在はスリランカだったりバングラデシュだったりする地域も含め…さらに「インド人」と分類されてしまうけれど、グルカのネパール系)、お話し以降の共産党政権下の「移民」??も含め、香港の雑多なエスニシティが現在の「返還」で起きている反応の状況も読めてきました。
この楽曲と同じタイトルにした翻訳者さん、かなりいいセンスです。
私自身、香港の文化を扱うとき、マイナス10歳の感性であろうと思っているので、40歳代から高校生年齢の人たちの目をひいただろうと思います。
和仁さんは「香港のビートルズ」とおっしゃいました。
私はひと時代前の「サザン」または同世代の「尾崎豊」だろうと。ただし、尾崎は(交通事故で問題を起こした)ニコラス・ツェー謝 霆鋒のほうが影響を感じさせます。
ところで、この楽曲。日本では「長城」「はるかなる夢」が「知っている歌」となるのでしょうが、香港ではこの曲が代表的だろうと思えます。韻の踏み方、ブリティッシュロック、アメリカンロック、日本ロックの折衷的な楽曲要素。悲しいかな広東語ロックは声調制限が強くて他国のロックよりも旋律線に制限がないと作品になりません。台湾やシンガポールのようにRAP挿入というスタイルも厳しいといえましょう。第4音を動かしづらいからだろうと思います。
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