ダージリンの今の心配が描かれたインド映画『ディル・セ 心から』

ダージリンはインドならずとも、いろいろな国の映画の一等ロケ地です。今、私が翻訳と音楽で関わっている映画もダージリンがインドロケとして選ばれました。しかも、インド映画史上初のドローン撮影。ご興味があれば「映画『シャンバラ』」で検索をお願いします。この3ヵ月、ダージリンを中心として、ネパール系住人による「ゴルカ・ランド州」独立運動が続いています。以前はインドから分離独立を要求していましたが、近年は「州」として、西ベンガル州からの分離独立を要求しています。今回の場合、マムタ・バネルジー州知事によるベンガル語州公用語化の提唱が彼らの火をつけてしまったと言っていいでしょう。かなり痛手のある失言だと思います。私がダージリンを訪れた2014年、ずっとベンガル文字が続いていた地域からダージリン領域に入ったとすぐわかるデーヴァナガリー文字(こっちならわかるからねぇぇ…って) それまで、無理してベンガル語を話すか、楽して英語を話すか、の二択でした。ダージリンに着くと、本来の言語チベット語かネパール語、そしてヒンディ語(ウルドゥ語)をカシミール語風になんとか…(でもスムーズな英語になっちゃった)…ほとんどベンガル語は使っていません。それどころか、自然な共通語は基本「ネパール語」です。出発前、ベンガル語の勉強をしましたが、しまった!!こんなにネパール語が共通なら、ネパール語のおさらいしておけばよかったなって。それでも街中では文字が読めるので助かりました。

さて、久しぶりにずっと気になっていたインド映画を、なぜか初めて観ました。ただし、家事の合間であることとタミル語吹き替えであることで観たというより「流した」でした。なんで…はじめてなのかなぁと思ったら、「有料」だったからみたいです。運よく??…ごめんなさい…違法動画をみつけることもなく過ごしていました。できることならヒンディ語で観たかったのですが…タミル語とテルグ語の二択だったので、タミル語を選びました。

ストーリーはシャー・ルク・カン(以下SRK)扮するラジオ・ディレクターの男性がアッサムへの取材に出かける途中、一目惚れしたマニーシャ・コイララ扮するネパール系インド人に恋し、ダージリンで再会。二人でラダックを旅し、シュリナガル、デリー、アッサム…懐かしい、懐かしい…ダメじゃん…私の心をかきむしるの…。この切なさは作品のエンディングで、もっともっと私のインドとの対峙を深く深くじわっと心の奥に攻めてきました。マニーシャ・コイララがラダックの寺院で五体投地をしたシーンで、お祈りに付き合わなかったSRKのムスリム度はかえって自然でよかった。

現在の状況でダージリンをはじめ「ゴルカ・ランド」を主張する人々による「チベット仏教とヒンドゥ」と西ベンガル州のムスリム中心、モディ首相の国家のヒンドゥ中心、対立が「祈り」で表現されていましたから。しかも、10年以上前の作品…ただし、ネパール系住民は不殺生なので実際に映画作品のようなテロは考えにくく、脚本家がムスリムでジハードが頭の中にあったのではないかと思います。ダージリン・シッキム・アルナチャル・アッサムのゴルカを主張するネパール系住人の脳裏に、このようなジハードの発想はないはずです。私自身もずっとジハードを理解できませんでしたが、自分の生徒が可愛いので、ああ、この子たちのために寿命縮めてもいいな、どうせ死ぬから…と思うことがしばしばです。ジハードはテロのためではなく、愛する者のために死んでもいい、死ぬ覚悟で社会の矛盾と闘う、そんな意味だと理解するようになりました。今の本務校ではパキスタニーが多いのですが、兼務校・前任校はチャイニーズが多かった。だからこの子たちを守りたいからチベット関係で政治の臭いがする場には行きませんでした。

※ ブログバージョンは視聴感想リアルをtweet加筆します。よかったら、ご高覧を。

坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

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