映画『シャンバラ』ロケ地ダージリンの基本情報
この映画作品はダージリンのロケが終了しました。ですが、これから日本ロケが残っています。日本でも同じクオリティで撮影をしたいとの関根俊夫監督がおっしゃっていました。ただいまクラウドファンディング展開中です。残り数日です。協賛者・協賛社募集中。
昨日、私は同じくダージリンを舞台にしたインド映画について書きました。しばらくダージリンの映画などクラウドファンデング終了まで紹介したり、少しだけ内輪話も…どうしようもないことですけどね。
さて、ダージリンとはどういう土地かということを少し。映画を見る前に予習しましょうね。
多くの方々は、紅茶の名産地・トランスヒマラヤということはご存知だろうと思います。また鉄道ファンにはトイ・トレインに(を)乗りたい・撮りたい!!
ダージリンはもともとはチベット系レプチャ族(シッキム・ブータン・ネパールのネチ・現中国領チベットに住む)の土地でした。チベット仏教寺院の寺社領・荘園となり、チベット人も増えてきました。ダージリンの地名の由来は今はありませんが、領主だった寺院の名前です。チベット語のドルジェ+リン ドルジェ金剛(あるいはダイヤモンド)+リン界(領域・土地)という意味です。英語~日本語までブータンと混同されて雷電の地と説明されている本やウェブの記述がみられますが、私が正しいです。ダージリンをwikiのヒンディ語でご覧ください。 ダージリンがインドが英領になり、まずはネパールとの戦争で英国人に発見され、英国人好みの自然と気候で別荘・避暑地となり、やがて住み着きました。家事労働などサーバントの需要があり、またお茶の生産に適していることから、戦争が終わって雇用の必要がないグルカ兵とその家族を、まずダージリン、そしてシッキム、ブータンに移住させました。ネパールに帰っても貧しく、政治の良くなかったのでネパール人たちは喜んでダージリンに住み着きました。チベット・インド間の交易の場でもあったので、中国人(回族も含む)やカシミール商人、ブータン人など多民族な土地となりました。インドが独立して英国系の住民はほとんどみられなくなりました。チベットが国でなくなってからチベット人やラサ・カシミール人などの増えています。地域の共通語はだれが定めたものでもないのですがネパール語です。
ダージリンは今でも避暑地として人気が高く、長期休暇を取れたインド人家族やIT企業の社員旅行の旅游地として好まれています(今年は別ですが)もちろん外国人観光客にも人気です。特にヨーロッパ人に。英国が開いた土地で山の景色も美しく、外国人慣れした料理もおいしいし。…日本人は…地球の歩き方に数ページしか載っていないのでインド・リピーターのほうが多いかも。もちろん初インドという日本人にも遭いましたが。チベット料理、日本人のクチに合うのにね。
また文教地区でも有名です。英国式のレベルの高い教育の伝統が残っており、インド全土・ネパール・ブータン・チベットから子どもを全寮制の学校へ行かせています。全宗派のお寺があり規模は中くらいから小まであります。他の地域のお寺より小僧さんが多いと感じるのですが、理由はわかりません。成人して南インドの大きなお寺に行ったり、国に帰ったり、映画『シャンバラ』の主人公タシのように外国に行ったりしているのではないかと推測しています。
拙稿です。3回目から10回目までダージリンでの話。
私の観光案内です。
ダージリンでのお土産案内です。
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