カッワーリー Qawwali☆at Pakistan &Japan Friendship Festival 2017
夏休み。Pakistan &Japan Friendship Festival 2017に行ってきました。
オーディエンスと音楽について考えることができたいい機会となりました。
8/13はカレーを買うためのみに夕方行ってきました。お持ち帰りで家で食べて。
8/14はステージを楽しむために行ってきました。
会場が上野だからこそできる2回お出かけです。
8/14は最終日だし独立記念日なのでステージへの期待がありましたから。
まずは私が途中まで撮影したもの。来年は専用のカメラを持って行こう。
いろいろとオーバーフローしていましたから。
そして出演者ご本人のチャンネルから。全曲バージョン
私自身は、早めに取ったいい席で私なりに楽しみました。録画したフリーなメリスマ(コブシの効いた…1音節…母音を華麗に歌う技術)は当然西洋的な12音の範疇を超えて…ああ、イスラム文化の音空間!螺旋に螺旋に宇宙に広がり集約される美しさ!
男子たち踊りまくり。スーフィズムのトランス…というより…世俗と神聖な世界の境界ハイテンション。
生まれ変わったら、パキスタン男子がいいかな?パキスタン男子って女に甘えて自由だからストレスフリーだよね〜〜って。あ!輪廻しちゃうことを考えたから、この時点で私はムスリムになれません。…ということで異教徒の私が冷静になったので…。
今まで、カッワーリーであれ、なんであれ、オーディエンスが(聴衆っていう日本語はそろそろ時代にそぐわなくなってきましたね)音楽と一体となっていると音楽の場を共有していることを素直に楽しめます。ステージに「おいでおいで」されたら絶対に自分から行きます(ただし、パキスタンとかバングラデシュみたいに男しか踊らない場は座ったまま楽しみますが)
大学生からずっと諸民族の音楽をたくさん生で聴いてきました。かつては、◎◎国の音楽が生で聴けるということで数少ない機会としてわくわくしながら…。ですが、今思い出すと、今ほど楽しく聴けたのかどうか不思議です。もちろん、今のほうが知識もあるし、音としての楽しみかたも知っているし、いろいろな音楽を経験しているからというのもあるでしょう。ですが、やはり…日本のお役所がお金出して、向こうの政府が選んできたり、学者が呼んだりした…お勉強のような公演、聴衆も民族音楽マニアか研究者の卵か研究者か本当の良さがわかっている人たちと共有するのではないのですから。オーディエンスのチカラってこんなにすごいのだと久しぶりに実感しました。
大学生の頃、土田貞夫先生のご授業で…音楽がつくられる人の要素は、
作曲家(+作詞)、演奏家、聴衆とおっしゃいました。今の時代であれば、裏方も含まなくてはならないと思います。第三の要素である聴衆は単なる消費者(ipadに入れ聞き流すなど)ではなく、音楽のつくり手であること…まぁたぶん今後、音楽学の授業を担当することはないかもしれませんが、もしも、音楽学や芸術美学を教えることになったら、マルティン・ハイデッガーによる世界と存在の哲学がいかに今の世界にはもの足りないものなのかも話したい。宗教音楽の授業をもつならニーチェやエリアーデももの足りないと…。
さて、次は私の学生時代とカッワーリーのこと。
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