日本でも高校生の政治活動が広がる「共感連携」
昨日21日、T-ns SOWLが中心に護憲のデモを催したとのことです。
朝日新聞のトップ面に写真が掲載されておりました。
24頁社会面では届けを出すか否かといういくつかの事例の記事がありました。
◆届けを出すか否か
はっきり言って生徒個々によって対応を変えられる日本であればよいのですが、あの子は許可した、あの子は許可してもらえなかった…というのは不平等ということになるので。難しいと思います。不平等であるべきこととは思うのですが、先生の気分で決められてしまっても良くないし…。ようするに「明日、デモ行ってきます」と気楽に担任に話して「ああ、行っておいでけがしないようにね」とか「え??暴れに行くんじゃなくって平和的に主張をする場だってわかっている??遊び半分じゃダメだよ~」「試験の点数落ちているのに一日使って大丈夫なの??今回は参加を見送ったら、成績上がってから行ったほうが集中できるよ~」という会話ができるかどうかではないかと思います。ずっと以前、暴走族っぽい男の子が戦闘服を着てガイセン車でマイクで怒鳴っていたって届けも注意もなかったのに、デモだと…となるとヘンですよね。デモに行かせたくなかったら全寮制でもいいかもしれません。
◆海外で高校生デモ
香港の雨傘革命まで発展していった学民思潮の運動、チベットにおける母語教育保護運動。
どちらも高校生年齢(学年)の子たちによる運動から大人にも波及しました。
(飛び級・落第がありますので)
大人に操られているのでは??ということを疑う日本人の意見も聞きました。
いや、そうではない…これが今回の若者の行動と同じような環境になっているからではないかと思います。
◆押し付けられた「連帯感」から「共感連携」へ
学校教育では体育・音楽・行事で「連帯感」を作るのが当然となっています。
むしろ、こちらのほうが操られている…といえるかもしれません。
これで荒れが収まったと錯覚している先生も多いようですが、低年齢化しているだけなのですけれどね。
とはいえ、まったく否定しているわけではありません。スキー合宿いやだな…といっていたフィリピン生まれの生徒が「ちょー楽しかった☆」、中国語でも無口な男子が日本人とたくさんしゃべって楽しかった、まぁ学校でなければ体験できない楽しみでもありますから。
…でも、マラソン大会はごめんだぁ~と言っていますけれど…。
部活の「連帯感」…これもまちまちです。
今、若い子が求めているのは、「共感連携」ではないかと感じているところに、こういう活動が自然に生まれてきたということで、私の実感と近いところにあるのかしらと思うのです。
◆親が寛容になっている
学校よりも「デモに行くね」と子どもに言われて、ものすごく怒る親って減ってきているのではないかと思います。「子どもがやりたいことをやらせたい」と考えている親が多いし。
親も子どもと同じ政治意見を持っている、もしくは親はノンポリシーなので難しく考えていない、というところからかもしれません。
◆若者のテレビの視聴時間が減っている
これは実感として…そして日本だけでなく世界で。
情報を求めるのであれば、ネットのほうが玉石混交でたくさんあります。YouTubeで選べます。相変わらず同じことを繰り返しているテレビニュースやニュースショウよりもあきらかに知りたいと思うことが知れます。LINEやTwitterでいろいろな声が知れます。友達もできます。つながります。
書籍と新聞資料が中心となる高校生ディベートも資料の探し方がうまくなっているのが感じられます。テレビを観なくなった時間、ゲームをやっている子もいるのですが、テレビに洗脳されることが少なくなっていて、思考力とノリで「活動」になっているのではないかと思います。
◆とはいえ、やはり…。
冒頭で書きましたが、個々にいろいろな差があるので、急激に容認するとおかしくなるし、また大人の反対も一種パワーとなるので、議論していくことは大切ですよね。
0コメント