1989年・天安門事件から27年・王丹氏来日
自分自身の思い出を述べさせていただきます。
息子を産んだ1989年、どんどん世界が21世紀に向かっていくのを小さなテレビ画面から感じとっていました。
1月夫の実家で昭和天皇崩御のニュース。
2月ソ連がアフガニスタン撤退。
5月ハンガリーがオーストリアとの国境を開通。
6月「64天安門事件」
6月「ビルマ」が「ミャンマー」に。
11月ベルリンの壁崩壊。
→今の時代へ…。
◆出産直後に天安門事件。
4月にはじまった学生の座り込み。何年か前に四人組打倒のときも天安門だったような気がするなぁ~、これもヤラセなのかしら…。ところがどんどん衝突が激しくなってきました。
あああ、中国どうなっちゃうんだろう~。
それで出産して子どもにつきっきりになっていて、寝ているときには書籍は夫の実家に置いていたので、新聞を読むかテレビを視る(というより聞く)しかなかったのでした。
◆事件後に知ったこと
息子が1歳を過ぎて東京方面に戻って…いろいろな人たちと会う機会が増えました。大阪よりも知り合いが多いからです。実母に子どもを預けられる・保育所にも入れられた。行動が広がってテレビの世界が現実の生々しい声となっていきました。
銃を向けられたかたも向けたかたも直接・間接の知り合いもいらっしゃいました。友達のカレシがここで亡くなったそうです(※数年前場所は天安門前ではなく別の場所という情報がネットで流れていました)
また…「あいつら幹部の子弟ばっかりじゃない!!」と…学生運動のトップについて語っていた友達もいます。彼女は、彼らの主張は同意していたものの参加したくなかったのは、裏で糸を引いていた人間がいただろうという思いだったとのことでした。
たしかにそういう幹部子弟の参加者の方々と日本でお会いすることもありました。
普通の参加者や参加者ではないかという疑惑をもたれ、逃げるように留学にいらした天安門直後の留学生さんたちは、今日本を出て海外で…または日本で起業したり、日本人とともにご活躍されていたりします。中国は、この事件で殺してしまった方々、海外に出てしまった方々という素晴らしい人材を失ったのですから。武力で解決することがいかに自国の将来のためにならないかということでしょうか。非暴力の解決こそ!!
◆王丹氏
彼は幹部の息子ではなく、大学教員の親ごさんだそうです。彼がいなかったら、信用できないと参加しなかった方もいらっしゃるのかもしれない…なんて思っていたりましていました。台湾にお住まいになられてfacebookでダイエット中だとか普通のことも書いていらして、魅力的な人間性があるかたなんだなと思っていました。そういえば同姓同名も多い名前でもあります。すでに何人か同姓同名の実際の知り合いもおり、その上!!生徒の中国名をきいてかたまってしまいました。「有名人と同じ名前なのね」「この名前、多いんです」
◆香港64が気になる
64になると追悼その他をしっかり行っているのが香港です。
習政権になって、口封じとも思われる事件が連発しています。
今年は大丈夫なのだろうかと心配です。
ということで1989-2016 天安門事件27周年というページをみての雑感でした。
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