「上を向いて歩こう」と「恋の季節」

亡命チベット人のポップス萌芽は日本ポップスだと、チベット亡命政府の元音楽学校校長ジャムヤン・ノルブ師がおっしゃいました。1986年当時、インド・ダラムサラの音楽学校で勉強させていただいたとき、「上を向いて歩こう」と「恋の季節」を知っていました。
あと「真っ赤な太陽」でした。音階体系が同じ日本の音楽のワイルドワイド、こういった楽曲は間違いなく自民族の音楽体系に合ったポップスを作りたいという意欲を持つアーティストにとって、「くすぐる」楽曲です。これらの楽曲のヒットから、5音音階ベースの西洋的な進行による民族ポップスが類似の多民族にとって「そそられる」ものであったことは確実でしょう。しかも、西洋音楽の要素はジャズ。ただし、これをヒットさせるのには、「ピンキーとキラーズ」でなければならなかったともいえるでしょう。だって、まるで労働歌のようなAメロと音高が高くなっただけで、しかも3音ベースですよ。こんな単純な構成であるので、ムラ社会の純愛を思わせる、一種の歌垣雰囲気でしたから。記事による「なぜおっちゃんたちと歌わなくてはいけないの」という陽子さんの当時の言い分。この作品だとソロだったら単なる民謡なので、お洒落にするには男声バックコーラス、さらに民謡も活かす…ということもできますからね。たぶん、私が言うことは「創作当時そこまで深く考えていない」と多くのかたがたがおっしやるにちがいありません。深読みしすぎと。いえね、何度も私の楽曲分析を却下してきたかたがたはすべてそのようにおっしゃいます。ですが、楽曲分析というのは、本人たちの意図ではなく、偶然と直感が産んだ結果を、音と社会と時代と人類の共感覚を総合的に引っ張り出した結果なのです。心理学の分析に「そこまで考えいないはず」という反論は笑わられると思いますが、音楽学では、言った人がエラそうだと通用しちゃいます。

さて、1950-60年代の日本のポップスは世界の多民族独自とグローバルなポップカルチャーの礎であったと信じています。現在、多くの地域で愛されているK-POPは同じ東アジア地域における影響関係あってのことです。


坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

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