「高校化」する大学、いや「就職予備校化」が問題

 高校の勤務をはじめて2年目のことです。驚きました!! 授業補助に行って、現代社会で「モラトリアム」の説明が教科書に載っていました。驚いきました!!読んでいると誰もが大学や専門学校に行ってモラトリアム期をすごすものだと思い込んでしまってもおかしくないような記述だったものですから。こういうものに騙されてみんな大学生になっているのではないかとも感じられました。若者が悩んでいる姿を見聞すると思いだすのがパールバツク『大地』第二部。がむしゃらに働いて成功した親が悩んでいる息子を見て憤りを感じているシーンです。それから最近親に反抗する若者って少なくなりました。「反抗期」もまた現代社会の教科書に載っているのですが、他人事のようです。年齢相応に悩んだり、家庭や社会の矛盾を感じたりといった時代ではないのかもしれません。

 大学に勤務していた頃、年々、大学のオープンキャンパスや学校見学に保護者同行もしくは保護者のみでやってくるといった様子が増えてきて、入学式も卒業式も保護者の姿が当たり前のようになってきました。

 私自身も息子の学校説明会に行きましたが、高校の場合、お金の問題が知りたかったからだし、大学は自分の母校なんで言い訳として行きたかったんです。懐かしかった☆高校は息子が自分で選んだほうが合格したのでお金の心配がなくなりましたが。ついて行ってもあまり意味がないな、と思う反面、お金の説明を口頭できけるのは良いことかもしれないと。それから私と同年代の女性だと大学を経験していないからどういう場所か知りたいというのもあるので、保護者が大学についていくことに対して批判的にはなれません。入学式はともかく、卒業式に保護者が参列するのは肯定的な目でみることができません。私の卒業式では卒業式→謝恩会→仲間内の二次会…でした。保護者が参列するから謝恩会は日をあらためて…ということになったのでしょうか。また私が大学生のころは女子は保護者ではなく婚約者が参列していたと思います。…私は大学院の修了式(学部の卒業式と同時)に当時のカレシ(ウチの旦那)が参列しました。

 それから数年、大学の喫煙所ができてきました。理由は保護者会によるものだと。喫煙所はとてもいいことですが、保護者会のご意見というのは不思議な気がします。大学が自主的に作るべきものだと思いますので。

 さて、この記事の「保護者が出欠確認できる」ですが、そこそこ出席していれば保護者は干渉しなくてもいいと思います、が、大学生でも「登校拒否」というのがあるのです。「大学に行こうとして電車に乗ったら気持ち悪くなり山手線を2周して帰宅した」ということを友達からききました。本人の場合「大学に行こうとして家を出てぼぉっとしていたら京浜東北線の磯子(目的地は北浦和)まで着いていて、それでも来ました」と泣きながら遅刻理由を話してくれた学生もいました。当時、大学生の出席が芳しくない者は「オサボリ」と決めつけられていましたので学務に話してカウンセリングに連れて行っていただきました。

 ある日、大学に来なくなる学生…多くは経済的理由と心理的なものですが、明らか大学以外に楽しいことをみつめたり、バイトがむいている場合もあります。大学ではなくメイドカフェで仕事している…とか、地方大学だと温泉旅館でコンパニオンとか…。男子だと飲食店とかカラオケ店とか夜勤系。仕事のほうが楽しい…。また恋人が「鶴の恩返し」で住み着いて大学に出かけられなくなった…というケースもありますが、大抵その場合、一時的なものなのでいずれは出席することになるので、ああ、同居しているなと思っても「カノジョにモーニングコールをかけてもらってね」と言っておくことにしていました。
 

 大学に毎日来ていても、サークルに夢中になっていて授業には出席していないという学生はいつの時代でもずっと存在しています。企業でもサークルつながりで進路が決まることもあります。私の授業は音楽学だったので、パフォーマンスのサークルのレベルアップのために授業を選んだ学生は「今」を楽しんでいるので、目的ある学習だったから出席率は良かったのですが。また部活でやっている大学などはたまに出席しても昼寝に来ていたよ、あの有名選手、なんて話しもよく聞かされていました、お友達から。
 大学に毎日来ていて、授業に出ていても留年する学生もいます。授業についていけない場合もあるのですが、学生レベルに合わせた授業しない先生だと単位が出ません。また勉強が楽しくて試験を受けない…なんていう猛者も。

 それより気になるのは、就活で授業に出ないで「公欠」と言い張る学生…「公欠」と思い込む学生が存在することですね。高校まで「公欠」と認められていると考えられていた進路の欠席をそのまま考えずに大学まで適用してしまっているのですから。

 ですが、学生の意識だけが問題なのでしょうか?保護者の意識だけが問題なのでしょうか??大学に問題があるのでしょうか??社会全体でしょうか?? 行政に問題があるのでしょうか?? …すべてでしょうね。

 実学重視で大学4年間が人としての豊かな心をはぐくむための教養を身につける場であるはずの大学がどこかズレてきている…。

 誰もが大学に行くようになって…そう一時は「大学の遊園地化」と言われた時期もありました。かつては知らない大学名のほうが少なかったのに、知らない大学名も増え、かつてだったら、大学生になれないような学力の子も大学生になり…。

 2000年代に入ってからだと思いますが「今日、学校に行く?」という大学生同士の会話。
「学校」という呼称は小中高と大学校、専門学校(専修)を指します。大学・大学院は「学校」ではないことを知らないようです。まあ、「生徒さん」を「学生さん」と区別しないで使われていますし、小学生に「児童」といわず「生徒」とテレビメディアで平気で使われているくらいですから気にしないことにはしていましたが。
 

 なんでもいいから「大学は学びの場」という原点から考え直す必要があると考えています。

坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

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