インド☆ナーランダ大学

Asia one の記事から

最近、日本国内で寺子屋の教育システムが見直されていますが、グローバルに寺子屋だけでなく「伝統的宗教学校」が近世的な教育より優れているところを見直す動向が広まっていると感じています。伝統的な宗教学校は聖職者や聖職の一時的修業をする世俗の子弟・子女を大抵は宗教や男女別にいわゆる「読み書きそろばん」と精神的道徳的規範…日本の寺子屋だと「雑巾がけ」とか…アジアだと瞑想、体育…道教のカンフーとか、日本の武士剣道や韓国の女性剣舞とか、心技体すべてを教育してきたのです。西洋キリスト教だと修道士の学校や修道士による孤児院的な寄宿制学校…『四季』で知られるヴィヴァルディはそういう女子学校の校長…などなど…イスラムは事情を正確に把握していないので省略しますが。
この記事のナーランダ大学ですが、中国からの留学生義浄やチベットからの有名無名僧侶が8世紀以降、インドで仏教が衰退するまでアジア各地からの留学生を受け入れ、現在はイスラムの国になった国・地域も含めて優秀で志が高い人々が学んでいました。今でいえば、ハーバード大学のようなものでしょうか??
私自身、大学院時代に義浄『南海寄帰内法伝』をゼミで勉強してナーランダ寺院学校でのルポが知れました、先生自身は中国仏教の授業の延長みたいな位置づけでご指導されていたのかもしれませんが、当時の中国人僧侶の眼でみたインドの風習や一緒に勉強したチベット人・ウイグル人への当時からあった差別も発見できて…ただ私の語学能力はサンスクリットやチベットより漢文は劣っていたので、梵文学の先生が仏教学で教鞭をとられていたゼミより、辛かったのは間違いありません。大学院の成績の唯一の「良」で、サンスクリットやチベットと対照訳ができるゼミのようにはいきませんでした。(授業は厳しかったけれど、成績は「優」をつけていただきました…他の先生は…。デキの良さより学習意欲に点数をくださったのだろうと思っています)

当時は…研究室、間違えたな…梵文専攻すればよかったと思ったのですが、今となっては、このゼミを取ったことが糧となりました。

最近、ダライ・ラマ法王猊下が「仏教研究の基礎はナーランダだ」とおっしゃることが増え、心技体・身口意、きちんと修学させた哲学これ仏教研究だとおっしゃっているのだと信じています。…日本の研究者がどこまでそのお言葉を理解しているのか不明ですが…。

と、いうことで、ナーランダ大学の支援をされているかたの記事を。



坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

0コメント

  • 1000 / 1000