「団結」と学校教育??

東京新聞。柏市、小中校の組み体操全廃へ 新年度から全国に先駆け
取材の視点が「被害生徒の母」という表現で取材していたのが印象的です。

千葉日報。
柏市の動向と松戸市、千葉市の教育委員会の動向。
この記者、分析力がありますねぇ。

◆「団結」ということばで「連帯感」を作っている学校教育は??
団結というのであれば、応援合戦でも、ダンスでも構わないのではないかと思います。
…体育祭・運動会だけでなく、学校教育では「団結」という名目で、さまざさまな行事が行われています。なぜ「団結」が必要なのか…という根本的な問題についての議論がなされていないのでしょうか。それともそういう議論を私が知らないのでしょうか??

◆「校内合唱コンクール」も廃止してほしいなぁ
おおよそ音楽性とは無関係な合唱コンクール。大きな声(*通る声ではない)、元気のいい男の子の指揮(*決して音楽がわかっているわけではなく、左右対称に両腕を動かしているだけ)、カラオケの生演奏バージョンみたいなピアノソロと勘違いしている女の子の伴奏、音楽科教員の意向よりも担任の意向での選曲…これのために授業時数たくさん使っていて、「卒業式での合唱」が最終目標…っておかしいですよ。音楽って行事のための授業ではないはず。死傷者が出ないけれど、感性を涵養する教科の目標とはかけ離れています。35時間しかなくなったので、音楽そのものを学ぶ時間がほとんどありません。楽譜も読めない、読める子は外で習い事か部活…っておかしいですよ。

◆学校教育…義務教育の段階で…学ぶべきことを学んでいないから
大学全入時代と言われつつも、それに見合った学力を持つ人が年齢が下がれば下がるほど多いのではないのでしょうか?? アメリカの首都ニューヨーク、自分の名前を漢字部首で説明できない、英語を話せない、四則計算の順番がわかっていない…理科は多すぎるのでパスしますが…自分が食べている食品の表示の意味がわかっていない…ん?美術だけは「色の名前」も創造もできているような…唯一、美術・図工だけは、受験とほぼ関係なく、団結も個々の創造性を重視した卒業作品を作らせていますねぇ。夏休みの美術展もいいし。個性重視の教科だけが効果ありということなのでしょう。体育…ですが…

◆「体育」という教科名を「健康」と変更してほしい
「団結」でも「連帯」でもない「協力」といういい方になるような団体競技や種目。
身体だけでなく、心も思考も「健康」になるための教科。
まずは個人の身体能力の育成という視点から出発した学びである必要を感じています。

◆組み体操に戻って…「人権」
組み体操とか体育大学で行われている「集団行動」とか…私は怖いんです。
身体表現パフォーマンスとして面白いと感じている方も多いとは存じますが、あまりに人権を潰した表現です。これらと北朝鮮など共産国家のマスゲームは近似した臭いがするからです。集団のために自分自身の気持ちを殺していい…殺すべきだ…という。
背後の思想があまりに危ういと思います。
これらのパフォーマンスが「お前があってこそ成り立つ表現」という言い方をしている指導者を存じません。「集団行動」であれば毎年「今年は最悪だ」という指導者がいらして、そのかたがだれかを叱咤し、叱咤されたかたが泣きながら頑張って成立するというストーリーが存在し…それに対して心が痛くなります。
組み体操の場合、練習中での事故の多くは練習中なので危険を察知できない児童・生徒がおふざけ…先生方も十分注意したと絶対に信じておりますが、子どもたちが甘くみていたとしか考えようがありません。本番の運動会・体育祭の場合…多少の体調不良があっても、出席してしまったのでそのまま出場してしまうと事故につながります。大勢の人前なので緊張してしまえば事故につながります。また必ずといっていいのは、練習とは違うポジションにさせられてしまう…つまり当日欠席の児童・生徒の穴を埋めるために。かつてであれば、身体能力が高い若い先生が替りに入ってくださってことなきを得るのですが、正規の教師高齢化と訓練不足の臨時採用若い講師などという場合、児童・生徒で埋めるという危険な…本当は「決断」なのに…しかも必ずしも運動能力が高い子に言われるとも限りません。
とにかく本番…。

◆組み体操って花形??
私の息子は身体能力が高いけれども、背が低く体重も軽いので、必ず上でした。
でも、運動会や体育祭の組み体操で夫婦・実母が盛り上がるというよりも、元気に走っている姿のほうが楽しかったと記憶しています。さらに、「男子も組み体操ではなくダンスたったら、もっと活躍していたのになぁ、女子だけダンスなんだぁ」という思いがあります。小中ではなく、高校時代にマイケル・ジャクソンの物真似が得意だった彼ですから、小中でもダンスを披露してくれたら、かなり納得の「わが子が主役」的な楽しみがあったと思います。組み体操…ウチの子、猿、大人の言いなりで友達という「人」のピラミッドとタワーに昇っていく…木でもモノでもない友達を足で踏んで上がる…ウチの子、人ではなく、猿。
この悲しい競技。下になって踏み台にされているわが子を見ている親もいらっしゃる、ウチの子、真ん中のどこかな…と探している親もいらっしゃる…。なんで、こんな競技が花形なのか、悲しくて仕方ないと…大学教師をやっていた頃に感じたので、自分の仕事の視線ではなく、親の視線でした。…もっと言いたいことがあるのですが…ここで止めます。




坪野和子☆世界の音楽☆世界のことば

2016年からネット発信スタイルを変えてみようと思います。天職である音楽と転職で勉強中の言語を中心にきままに生真面目に書き綴っていきます。

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