【拡散希望】SEALDs : Peace for 70 years and infinity
本日、オルタの会オープンセミナーに参加しました。息子よりチョイ年下の講師です。研究発表者の立ち位置であればなんでもないのですが…結構新鮮な体験かもしれません。
この年齢の子は大学でかかわった最後の年の最年少であり、高校勤務の一番上の子たちと同じなんで、私にとってリアルな生徒・学生と同じ年代(それでも「ヤバい」の使い方が一世代上)ビミョーな年頃の講師との接触でした。一番言いたいことは最後に…という日本人の轍を踏んでいて(英語圏だと「最初に」言う…あとは補足)沖縄県出身のおじいの体験から話をはじめた…オーディエンスの主要年齢層を想定した語り口でした。基本、私は想定年齢層ではないので、質問とかみ合わないかなと思っていたのですが、私の知りたかったことが的確に返ってきました。メディアの使い分け、類似の海外の大学生の政治活動との影響関係などを質問したのですが、知っているもの知らないもの、しかも知っているものにはリアルな海外旅行体験あってのことでした。
安保そのまま世代からの質疑は、彼から安保時代が知りたいから教えてほしいという誘導が出てきて、それに応じたのは、当時関係していた女性たちのご意見・質問・応援でした。私の時代でさえ、女子は短大、それ以前の時代に大学生だった彼女らはめっちゃ優秀なんだと理解しています。60年代組は、お子さんより20も若く、ギリギリお孫さんの一番若い子。70年代組は、接点が少ない世代…そして私は息子より少しだけ若いので「下の子」がいればその世代。母とか祖母とかそういう視点で観ているのではないということも感じました。本来、年上の女性から応援してもらうのには損な年齢層であるのに「応援しています」というお姐さまたちの声。
それは「女子」(本人表現「女の子」)が普通にコールやスピーチを担当している活動方法なんでしょうね。フロアーから「扱い」という言い方を変更すべしという提案が出ました。この子の問題でなく社会全体が「扱い」としか表現できない構造で育っているので。
今日、確認できたのは、「イベント感覚」と「一人称」。
今回は「一人称」を軽く申し上げますが、ここのところ、ずっと私が書いてきた「連帯感」「団結」ではなく、個々の意思。今まで「われわれ」と言っていたコールが「私は」となっているところ。「みんなで行く」ではなく「それぞれが現場に来た」という差異。マジこっちのほうが本来のありかただからさぁ~と個人的に思いました。
自分の仕事で傷ついていることにもリンクしました。「組織化」は個人のホスピタリティーやヒューマニティやボランティアティーを奪う。「組織化」が意味するところは「リーダー
」が必要だということです。
で、彼が最後に提示してくれて【拡散希望】と言った動画を最後にリンクします。
彼は「SEALDsでユーチュー検索してくれれば出ます」と言ったのですが、私自身がチベット関係なので、彼らの活動に反論する団体の動画が挙がってきました。ぉを、おい、よぉ~…チベット関係者=ネトウヨじゃねぇぞ。仕方ないので、Peaceを検索ワードに加えましたが、それでもネトウヨ系の動画が上に挙がってきて。イラっとしました。やっと出てきたので、ここまで検索して【拡散希望】しなかったら、アウトだろうが!!と申し上げたいくらい面倒くさい状況でした。ここまでめんどかったので、どうか【拡散希望】で、よろしくお願いいたします。
お初だったんで。けっこう泣きました。
ですが、リピしたら泣かないだろうと思いました。
他国の大学生たちのヘタウマより上手だったから…というのが一因。
それから、何かが欠けている…それが何かがわからないのですが。
とりあえず、一回目は確実に泣けます。
講師ですが、元山仁士郎クンです。
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